現在の就労支援センター
お世話になります、センター長の木谷です。
気づけば8月。震災からすでに半年以上が過ぎていました。
最近やっと事務所にいることができるようになり、今日は部屋からアルプラザ鹿島を眺めています。草が伸びたなー、いつ刈ろうかなーと例年と同じようなことを考えるようになりました。そういえば6月~9月ってエンドレス草刈りの時期でしたね‥。思い出しました。
さて、今まで詳細に書くことを避けておりましたが、少し能登半島地震のことについて触れたいと思います。思ったまま書くので、読みにくいところはご了承ください。
2024年1月1日16時10分に令和6年能登半島地震が起きました。最大震度は輪島市・志賀町で震度7を観測、震源地から離れた七尾市のコンビニで買い物をしていた私も、コンビニの棚の商品が軒並み地面に激しく落ち、危険を感じすぐに外の駐車場で避難しました。揺れが収まるのをまって、自宅に帰りましたが、自宅では子どもたちが自転車用ヘルメットをかぶり震えながら玄関に座っていました。テレビからはアナウンサーの「津波が来ます、逃げてください」という声が。すぐに家族全員を車に乗せ、高台へ逃げ、車の中で4時間待機していました。カーナビのテレビで見る輪島の朝市通りの火事や家屋の倒壊を見て、被害の大きさを知り絶句しました。これが自分たちの住む能登か…と。
就労支援センターは年末年始をお休みとしていましたが、3日には出勤し、利用者の安否確認を始めました。すぐに連絡が取れない方もおりましたが、結果全員と連絡をすることができ胸をなでおろしました。ただ、水が出ない状況は続いており日常の生活を送ることができませんでした。代表理事のつながりで支援物資をいただけたので、それを利用者や関係機関とシェアし、何とかつないだり、行政からも様々な支援をしてもらい、みんなで助け合いました。みんな苦しいのに、みんな同じ立場なのに、みんな休めてないのに、本当に「ありがとう」という感謝しかありませんでした。
当法人は七尾市にA型、中能登町にB型がありますが、A型の建物被害は大きく、室内に7センチ以上の段差ができ、壁が壊れ、窓やドアがゆがみました。水も出ません。幸い、B型は外壁やクロスに亀裂が入る程度で大きな被害はありませんでした。本当は水が通るまで開所しないつもりでしたが、「きっと自宅で困っている方がいるはずだ」という思いから、1月8日に開所、A型の利用者もB型の事業所に招き、ともに作業を開始しました。中能登町の水の復旧は早かったので、利用者の中でお風呂に入れず、洗濯ができない方にはB型の事業所のお風呂や洗濯機を無料で使えるよう開放しました。
かといって、仕事はなくなりました。A型のメインの仕事である和倉温泉の仕事が0になりました。幸い、災害ごみの撤去作業の手伝いを依頼され、有期限で仕事をもらうことはできましたが、その仕事もなくなれば次の仕事を探さなくてはいけません。「次の仕事はあるのか…」という不安にかられました。
といっても、就労支援センターは代表理事をはじめ前向きな職員ばかりですから、仕事がなければ探せばいい、なければ作ればいい、という考えから、すぐに見つけますのでご心配なく☺
法人外での支援活動についても記載します。私が所属する石川県精神保健福祉士会では、発災直後から理事や災害対策委員と電話やオンラインでやり取りをし、1月5日に災害対策本部を設置。1月17日には石川県相談支援専門員協会と連携して先遣隊を派遣、被災状況の確認や今後の支援について、被災地の支援者たちと話をさせていただきました。そして1月28日、日本精神保健福祉士協会の先遣隊とともに2度目の現地視察を行いました。協議の結果、外部団体が撤退する時期に本格的に支援に入ることとし、支援者支援やこころのケア、地元の支援を目的に、3月12日から石川県相談支援専門員協会とともに珠洲市に入ることとなりました。そして、4月22日からは日本精神保健福祉士協会からも派遣されることとなりました(~8月2日)。私もその一人として珠洲市の支援に入っています。
あらためて、私が支援活動できるのはそれを送り出してくれる仲間がいるからであり、それをひしひしと感じています。いつも私の行動を肯定してくれ、ありがとうございます。
今回の地震は、道路の寸断・悪路、半島・過疎地域・孤立集落、断水などがクローズアップされました。支援に入りたくても道路が悪く入れない、宿がないため応援に行けないなどの問題や、1.5次・2次避難所という対策もとられました。しかし、各種団体、ボランティアの協力で復旧・復興に取り組み、ここまで来ることができたと思っています。発災から半年以上が過ぎ、仮設住宅もどんどんできています。ですが、住民はお金のこと、生活のこと、将来のこと、不安がつきません。一方で、現地にいる支援者も被災者であり、明らかに疲弊しています。まだまだ支援は続き、長期的なかかわりが必要だと感じています。そのような現地のニーズを把握することに注力しながら、能登の復興を目指し、関係団体と協力しながら当法人でできる支援を行っていこうと考えています。
この度は心配してくださった皆様、また支援をいただいた皆様、この場を借りて感謝申し上げます。私たち法人は基本理念である「能登地区において、私たちとかかわる人たちが、その人らしいハッピーな生活を実現できるよう支援します」の通り、前を向き、能登の復興のため今までと変わらず取り組んでいこうと思います。
今後も引き続き私たちの住む能登に関心を寄せてください、よろしくお願いします。